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美人上司

いつまでも若く純愛

「あの鬼の上司が、僕の胸の中で泣きそうになってるなんて……」

そんな考えが頭をよぎるたび、僕は自分の人生が信じられなくなる。僕の名前は榎田武史。アラフォーに突入し、自分で言うのもなんだが、地味で冴えない、どこにでもいる平凡なサラリーマンだ。それが、どうしてこんな「非現実」なことに迷い込むことになったのか。目の前で腕を組み、眉をひそめているのは、直属の上司で「鉄の女」と呼ばれる伊藤早希さん。鋭い目つきに冷静な判断力、妥協を許さないバリバリのキャリアウーマンだ。仕事のことなら隙がないし、職場では社員たちの憧れと恐怖を一身に背負う存在になっている。もちろん僕も、彼女に会議中どれだけ叱責されたか数え切れないほどだ。今日もまた、冷たい声が僕に浴びせられる。

「榎田君、これ、何度言ったら分かるの? 本当に、もっと考えて作らないと!」

周囲の視線が突き刺さる。同僚たちはきっと、「またかよ」「ご愁傷様」と言いたげな顔をしているだろう。僕は俯いて「すみません」とだけ答えた。けれど心の中では、まるで別のことを考えている。――そんなに無理して演じなくてもいいのに。

職場での彼女の冷たさも、厳しさも、僕だけは知っている。それが全て虚勢だということも。完璧な上司を演じるために、どれだけ彼女が気を張り詰めているのか、僕だけが知っている。そして――夜だけは、その仮面を脱ぎ捨て、僕の腕の中で素直になる彼女の姿も。

彼女との始まりは、数ヶ月前のことだった。残業で遅くなり、ふらっと近くの居酒屋に入ったときのこと。店内の奥で、誰かが独りで飲んでいた。その後ろ姿を見て僕は息を呑んだ。それは早希さんだった。いつも完璧なスーツ姿の彼女が、今日は髪を少し乱し、目元が赤い。そのテーブルには、空いたグラスがいくつも並べられていた。

近づいて声をかけると、彼女は一瞬驚いたように顔を上げた。目が赤く腫れていて、どこか怯えたような表情をしていた。その顔を見た瞬間、僕の胸がぎゅっと痛んだ。僕はきっと、彼女のこんな姿を想像すらしていなかったんだと思う。

「榎田くん……こんなんじゃ駄目よね、こんな私じゃ…」

掠れた声で呟く彼女の目は、泣きそうだった。鉄の仮面の奥に隠していた、彼女の弱さ。それを垣間見てしまった僕は、気づけば言葉を発していた。

「そんなことないですよ!」いつもの僕らしからぬ、真剣で強い声だった。

「早希さんは……本当に頑張っています。でも、少しくらい弱いところを見せたって、きっと誰も嫌いになんてなりませんよ」

彼女はしばらく僕を見つめていた。言葉を失ったように。その後、小さく微笑んだ。その笑顔は、どこか儚げで痛々しいほどだった。そしてその瞬間、彼女はふらっと僕の胸に寄りかかってきた。

僕は思わず彼女を抱きしめそうになった。でも、躊躇した。こんな状態の彼女に何かをするのは、間違いだと思ったからだ。それでも、その瞬間、僕の中で何かが変わった気がする。彼女を守りたいと、心の底から思ったのだ。

その夜は彼女を無理やりタクシーに押し込んで帰らせたけれど、あの出来事がきっかけで、僕たちの距離は少しずつ縮まっていった。やがて早希さんと付き合うことになったのは、自然な流れだった。

職場では完璧な上司を演じる早希さん。でも、僕だけが知っている。彼女が実は不器用で、可愛らしくて――プライベートでは完全に僕に甘えてくる姿を。そんな早希さんを僕は絶対に誰にも渡したくない。だからこの関係は、二人だけの秘密だ。

出張先の温泉旅館。秋の夜風がひんやりと冷たく、湯けむりがほのかに漂っている。僕と早希さんは浴衣姿で並んで中庭を歩いていた。

「ふー……やっと終わったわね」

早希さんがほっと息をつく。その声はいつもの上司らしい鋭さを失い、柔らかさすら感じられた。僕はその横顔を見て、思わず微笑んでしまう。職場では決して見られない、彼女の安堵した表情。なんだかそれが、自分だけのもののように思えてしまった。

「お疲れさまでした、早希さん」

「あなたもね」

軽く肩越しに振り返る彼女の仕草が、なんとも言えず愛おしい。職場ではどれだけ厳しくされても、この表情を見ればすべて報われる気がする。

部屋に戻ると、彼女は卓袱台を挟んで僕の正面に腰を下ろした。浴衣姿の早希さんは、普段のスーツ姿とは全く違って見える。湯上がりで頬がほんのり赤く、髪は少し湿っている。その姿は、どこか無防備で柔らかい。

「どうしたの? じっと見て」

「いや……湯上がりの早希さん、きれいだなと思って」

彼女は一瞬戸惑ったように僕を見た。それから、微かに笑みを浮かべた。その表情がたまらなく可愛くて、僕はもっと彼女に近づきたいと思った。

「そんな風にじろじろ見るの、セクハラよ」

「二人きりのときくらい、許してくださいよ」

冗談めかして返しながら、僕は彼女の手をそっと取った。ひんやりしていた指先が、僕の体温で少しずつ温まっていく。早希さんは抵抗することもなく、ただ僕の手の中に自分の手を預けていた。その姿に、僕は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。

「いつものようにもうそろそろ素直になって良いんですよ」

僕がそう言うと、彼女は小さく息を吐き、僕の目をまっすぐに見つめてきた。

「……本当に、あなたって時々ずるいよね」その声は甘く、かすかに震えていた。

彼女がゆっくりと身を乗り出し、指先だけでなく体全体が僕に触れる。浴衣越しに感じる彼女の温もり。彼女が僕にすべてを委ねている感覚が伝わってきた。そしてその瞬間、僕は彼女の肩をそっと抱き寄せた。早希さんの唇が耳元に触れるほど近づき、小さく囁く。

「いつものように全てを忘れさせて…」浴衣の襟元から覗く彼女のうなじが色づいているのが見えた。彼女の強さも弱さも、今はすべて僕に預けられている。そうプライベートの彼女は僕にメロメロなのだ。

翌朝、早希さんは再び「鉄の仮面」を纏い、職場の厳しい上司に戻っていた。

「榎田君、分かってるでしょうね!」冷たい声、鋭い目線。けれど、僕はその奥に一瞬だけ浮かぶ柔らかな光を見逃さなかった。――これが、僕たちだけの秘密。僕は笑顔で「はい」と答えた。叱責の声を浴びながらも、僕は今日もまた、彼女の「厳しい上司」を演じる姿を心の中で愛おしく思うのだった。

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