ペタペタと歩く足音が聞こえてきたとき、俺はすでに湯舟に浸かり、夜空を見上げていた。静かな夜の空気が心地よく、仕事の疲れが少しずつ抜けていくのを感じていた。しかし、その足音に気が付いて後ろを振り向くと、そこには信じられない光景が広がっていた。混浴風呂だとはわかっていたがまさかの女性が入ってくるとは。
「ええ?松井さん!? ここ、混浴ですよ!」目の前には、関西支店のトップ営業マンである松井奈央の姿があった。彼女はタオルを握りしめ、少し驚いた表情を浮かべていた。しかし、すぐにその表情を柔らかくし、笑顔で答えていた。
「あっ、本当ですか?ごめんなさい!でも、せっかくだからご一緒してもいいですか?」
「えっ、えっ、いや、俺、もう出ますから……。」
「いいんですよ、気にしなくても。どうせ誰も来ないじゃないですか。」
そう言って湯舟に入る彼女を見て、俺は完全に動揺していた。目が泳いでいたと自分でも思う。タオル越しとはいえ、彼女の柔らかそうな白い肌や女性らしいシルエットが目に入るたびに、まともに話すことすらできなくなっていた。
「ふぁー、気持ちがいいですねぇ。」奈央がそう言いながら湯舟で伸びをしている。俺は視線をどこに置けばいいのかわからず、湯気越しに星空を見るふりをしていた。
「桑田さんは、慰安旅行に招待されるのは初めてなんですか?」
「ええ……まぁ、たまたま今年は運よく上位に入れたので。」
「たまたまでも人数の多い本社で上位に入れるってすごいじゃないですか!」奈央の自然な褒め言葉に、俺は少し照れくさくなっていた。
「奈央さんの方がすごいですよ。関西支店でトップなんて、めちゃくちゃ大変だったでしょう。」
「まぁ、正直頑張りましたけど……人間関係とかはね…。結構厳しいんですよ…。」
彼女は星空を見ながら少し寂しそうに笑っていた。その表情を見て、俺は何か慰めようと考えていたが、何を言って良いかわからず適切な言葉が浮かばなかった。
彼女が露天風呂に入ってきてから、気づけば1時間以上が経っていた。彼女の魅力に飲まれていたのだろう。ただ、ある所からの記憶がない。酔っている上に、長く湯に浸かりすぎたせいで俺はのぼせてしまい、意識を失っていたみたいだ。
気がつくと、脱衣所で奈央が心配そうに俺を見つめていた。
「大丈夫ですか?いきなり倒れるからびっくりしましたよ。」
「すみません、とんだご迷惑を……。」
「はい、まずは水分をたくさん取って下さいね」と飲料を用意してくれていた。ただ、俺は裸でタオルが下半身に掛けられているだけの状態が恥ずかしくて、それどころでは無かった。
「ありがとうございます」と感謝の気持ちで水を一気に飲み干し、落ち着きを取り戻してから浴衣を羽織り着替えをさっと済ませた。奈央は既に浴衣姿に着替えており、他の従業員も周りにいたため、恥ずかしさもありお礼を言ってからすぐに自分の部屋に逃げ帰った。なので彼女とはそれ以上話すことができていない。
翌朝、朝食会場にいくと関西組の人たちは出発が早いということでもう食事は済ませていたようだった。本社組が旅館を出る頃には、関西方面組はすでに出発しており、俺は彼女にお礼を言うことができなかった。あの場面を思い返すたびに、何とも言えない感情が胸をよぎっていた。ただ、それから数ヶ月後に彼女が本社に異動してくるという話を聞いた。彼女が新たな職場でどのような姿を見せるのか、あの時のお礼も含め再会への期待が胸に膨らんでいた。
奈央が関東支店に着任した初日、挨拶と共に俺に向けられる柔らかな笑顔。もちろん俺から彼女に声をかけ食事に誘うことが出来た。ようやく、あの時のお礼を言うことができたのだ。
「本当にあの時はご迷惑をおかけしました。恥ずかしくてちゃんとお礼が出来なくてすみませんでした。本当にありがとうございました。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。私も楽しかったですよ、なんせ裸の付き合いをしていたんですから。」と彼女はいたずらっぽい顔で笑っていたが、その笑顔の裏に何か隠しているような影があるように感じていた。食事をしながらどうしてこんな変わった時期に異動になったんですかと話を進めると、奈央は関西支店で上司を含めて嫌がらせを受けていたことを打ち明けてくれていた。
「結構大変だったんです。私の書類を勝手にシュレッダーされていたり、物がなくなる何て日常茶飯事でしたし、特に上司自体も私のことが気に入らなかったみたいで…。一応その上の上司にも相談したんですけど、結局何もしてくれなくて……。だから辞めようと思ってた時に、ダメもとで社長に電話したんです。そしたら本社に来いって話になって…。」
「そうなんですね!妬みでそんなことする人たちって最低ですよ!こっちに来て正解だったと思いますよ。なんせ僕が首にならずにいれるくらいですから。」そう笑いながら伝えると奈央は少し微笑みながら答えてた。
「桑田さんは素敵ですよ。だから一度桑田さんと働いてたくて直談判してみたんです。」
「それに、その後に社長から色々怒られてると思うんで、もうあんな人達別にどうでも良いんですけどね。それに…桑田さんとこうして一緒にいられるようになったし…」
その言葉に、俺は胸が熱くなっていた。さすがにバカな俺でも彼女の行為には気付いていたし、俺自身も彼女への想いが徐々に強くなっていくのを感じていた。
それからの奈央は本社でもめきめきと営業成績を上げ俺なんてすぐに抜かしてしまった。でも俺たちの関係は徐々に深まっていき、二人はプライベートでも頻繁に会うようになっていた。彼女の明るさと強さに触れるたびに、俺は自分自身が癒されていくのを感じていた。そして、何かあるときはいつもあの時の混浴での出来事が笑い話になっていた。
「あの時、桑田さんの慌てっぷり、本当に面白かったですよ。」
「やめてくださいよ。奈央さんが堂々としすぎなんですよ!」二人は笑い合いながら、自然に手を繋いでいた。奈央の手の温かさを感じながら、俺はこれから始まる新しい関係に希望を抱いていた。
あの露天風呂での出来事は、偶然ではなく運命だったのかもしれない。そう思わせるほど、奈央の存在は俺にとって特別なものになっていた。さらに、奈央は次第に新しい職場でも自信を取り戻し、周囲との関係も良好になっていた。俺は彼女の成長をそばで見守りながら、二人で新しい未来を築いていこうと決意していた。
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