私たちの夫婦関係がうまく行くようになったきっかけは、正直、自分でも驚くような提案からでした。
定年を迎えた夫と、毎日顔を合わせるたびに何かしらの不満が積もっていく日々。主婦は言っても規則正しく生活しています。朝から食事を作って掃除洗濯とお休みはありません。そんな状態の中に夫が退職してからというもの、毎日朝からダラダラしている彼の存在はイライラする存在以外の何物でもありませんでした。私が小言を言い、ちょっとしたことでも言い争いが絶えなくなってしまいました。朝の挨拶すら、「おはよう」の一言だけで以降の会話が無い日も多くありました。たまに、私のご機嫌伺いなのか、何か手伝おうとしても、私は余計にイライラしてしまい「頼んでないでしょ?」と冷たく言い放ってしまう自分がいました。その反対に、彼が何もしないでゴロゴロしていると、「どうして何もしてくれないの?」とつい声を荒げてしまう。夫からしたら大変だったと思います。でも30年間、夜まで一人だった生活が、朝から何もしない人がそこにいるのが耐えられなかったのです。少しでも外出してくれれば私の時間も取れたのでしょうが、彼は全く家を出ることもなかったのです。私にとってまるで出口の見えない迷路に迷い込んだかのような状況で、そんな毎日が続いていたのです。このままじゃいけない、でもどうしていいかわからない。そんな時、ふと頭に浮かんだのが、ママ友のえりさんとの会話でした。
ある日、私は思い切って夫に「菊池さん夫婦の家で夕食を一緒にしない?」と提案しました。普段、私からそんなことを言うことは少ないので、彼が少し驚いた表情を見せたのを覚えています。でも、彼は特に深く考えることなく、「え?俺も行くの?」と、ひとしきり悩んだ後にようやく良いよと応えてくれました。
次の週に、菊池家を訪れると、暖かい光に包まれたリビングには、美味しそうな料理がずらりと並び、ワインの香りがほんのり漂っていました。始めは緊張していた夫もお酒が入れば徐々に緩んできたようで、久しぶりにリラックスした気分で笑いながら時間を過ごすことが出来ました。でも、楽しい時間の中で、心の片隅にずっと引っかかっていたものがありました。これまでの夫との関係、これからの私たちの未来はこれからどうなるのだろう。考えれば考えるほど、未来が見えなくなっていました。そんな時、酔っぱらってしまった私はふと口から出てしまったのです。「ねぇ、えりさん、夫を交換しない?」と。まるで冗談のように聞こえるかもしれませんが、その言葉には私の本心が少し混ざっていました。
えりさんは即答で良いよと答えてくれましたが、お酒の中での話ということでその話はそのまま流れていきました。ただ、私はその帰り道、頭の中でずっとその提案を繰り返し考えていました。そして、数日後えりさんにも正式に交換してデートしないと提案し了承をもらいました。そしてその日のうちに、思い切って夫に言ったのです。「今度、本当に私たち交換して遊びに行かない?」と。夫は驚いた顔をしていましたが、美人のえりさんとお出かけできると思ったのか、反対はしませんでした。
交換当日、えりさんの夫である菊池さんが私を迎えに来てくれました。正直、自分で提案しておきながら胸の中は緊張でいっぱいでした。夫以外の男性と二人きりで過ごすなんて、何年ぶりのことでしょうか。けれど、えりさんの夫は優しく接してくれて、私の心を少しずつ和ませてくれました。彼との会話は穏やかで、自然に笑顔がこぼれました。夫とは違う雰囲気に、心の中で何かが解けていくような気がしました。
しかし、その一方で、夫のことが頭から離れませんでした。夫とのこれまでの日々、良いところも悪いところも、改めて思い出しては、自分自身の態度を振り返るきっかけになりました。「私、何やってるんだろう……」と、何度も自問しました。その一方で、菊池さんの優しさに触れるたび、今の自分に必要なのは、夫に対してもう少し優しく接することなのかもしれない、と感じたのです。
その夜、帰宅すると、夫が少し緊張した表情で「どうだった?」と聞いてきました。私は、「新鮮だったわ」と答えましたが、彼の顔に見えた微かな不安が胸に刺さりました。その瞬間、私は何も言わずに夫の胸に飛び込みました。「なんだか無性に会いたくなったわ……」と、素直な気持ちが口をついて出ました。普段の夫ならきっと「何言ってるんだよ」と戸惑ったでしょうが、その時の夫は何も言わず、私の腕を引いて強く抱きしめてくれました。その温もりに触れた瞬間、私は胸の奥で凍りついていた何かが溶けていくのを感じました。
禁断とも言えるこの夫婦を交換してのデートはもしかしたら大変なことになったかもしれません。もちろん4人とももう欲みたいなものが無かったから実行できたのかもしれません。ただただ、パートナーを変えてデートをする。これだけでも、私たちに思いがけない効果をもたらしてくれました。後で知ったことですが、菊池夫妻もまた、この「交換会」で夫婦仲が良くなったそうです。私たちはそれ以来、定期的に「交換会と食事会」を開くことにしました。お互いが新しい気持ちを取り戻し、愛情を再確認するために。この奇妙な習慣が、私たち夫婦にとって、なくてはならない大切なものになっているのです。
「これからも続けるの?」と夫がふと尋ねてきた時、私は少し照れくさそうに微笑みながら、「うん、たまには息抜きしないとね。だって、これがあるから、ケンカもしなくなったし関係がもっと良くなる気がするの」と答えました。夫は少し驚いたような表情を浮かべましたが、すぐにその顔が柔らかくなり、「そうだな。これが俺たちにとっての特別な方法かもしれないな」と優しく言いました。私たちの絆は、こうして少しずつ、でも確実に深まっているのです。