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職人技。手技が認められ

いつまでも若く純愛
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僕は、彼女の頬にそっと触れた。冬の夜の工房の空気は冷たいはずなのに、真理さんの肌は驚くほど温かかった。そのぬくもりが、僕の手から心へと染み込んでいくようだった。「たかしさん……」彼女の声は小さく、震えていた。けれど、それは恐怖や不安の震えではなく、期待や緊張が入り混じったものだとすぐにわかった。僕たちの間にあるのは、わずか数センチの距離。彼女の唇がかすかに動くのが見えた。
「……いいですか?」僕の問いに、真理さんは一瞬目を伏せた後、顔をほんの少しだけ頷かせた。その仕草は言葉よりも多くを語っていた。触れた唇は柔らかく、甘やかだった。それは、僕の中でずっと修復されずにいた欠けた部分を、そっと埋めていくような感覚だった。
「…続きは結婚してからだね」僕がそう言うと、彼女は顔を真っ赤に染めて俯いた。そして、静かに微笑むその姿が、金粉で彩られた壺のように美しくて愛おしかった。

 数ヶ月前、僕たちの出会いは一本の電話から始まった。「父の形見の壺を修理してほしいんです」電話の相手は田中さんという女性だった。柔らかな声色で、落ち着いた雰囲気の中にどこか切実さを感じさせるものがあった。依頼内容は、彼女の父が大切にしていた壺の修理だった。送られてきた写真を見ると、それは見事に細かく砕けていた。破片はまるで砂のようになっている部分もあり、修復の難易度の高さを一目で理解した。
「これは……直せるのか?」写真を見た瞬間、そう思わずにはいられなかった。僕は師匠に相談したが、「無理せず断ってもいい」と言われた。それほどまでに厄介な依頼だった。それでも、電話越しの田中さんの声が、僕の中に妙な決意を芽生えさせた。
「父が生前、大切にしていた壺なんです。私の不注意で壊してしまって……どうしても元に戻したくて」
彼女の声には、深い後悔と切実な願いが込められていた。その言葉を聞いて、僕はふと自分の手元にある金継ぎの道具に目を落とした。金継ぎとは、壊れたものを新たな美しさで甦らせる技法だ。それは、傷跡を隠すのではなく、その傷を受け入れ、新しい価値を生み出すもの。その考えが、僕の手を自然と動かしていた。
「やります。やらせてください。」その言葉は、気づけば自然に口をついて出ていた。壺が工房に届いたとき、その状態を目にして僕は息を呑んだ。
写真で見た以上にひどい有様だった。細かな破片が散乱し、かけらが揃っているのかさえ分からないくらいだった。修復の難易度は想像を遥かに超えていた。一瞬、不安がよぎったが、引き下がるわけにはいかなかった。僕は静かに作業台に壺を置き、破片を一つずつ拾い上げた。作業は一カ月以上にもわたり、何度も夜を徹して行った。だが、不思議と疲れは感じなかった。むしろ、修復が進むたびに心が澄んでいくような感覚があった。そしてついに、壺は金色の縁をまとって、元の形を取り戻した。修復が完成した壺を田中さんに手渡したとき、彼女はそれをじっと見つめた。
「こんなに綺麗に直していただけるなんて……」彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます……!」壺を抱きしめる田中さんの姿を見て、僕は胸が熱くなるのを感じた。この仕事を続けてきた意味を、心の底から実感する瞬間だった。それから、田中さんは新たな顧客を紹介してくれたり、僕にとってどこか親しみやすい存在になっていった。
 そんなある日、お礼にと田中さんから食事に誘われた。少し戸惑ったものの、断る理由もなかった僕は「ぜひ」と返事をした。そして指定された日にレストランを訪れると、そこには田中さんだけでなく、もう一人の女性が座っていた。
「こちら、娘の真理です」そう紹介された彼女は、僕と同い年くらいで、落ち着いた雰囲気の美しい女性だった。だが、次の瞬間、田中さんは席を外すと言い出し、僕と真理さんは二人きりにされてしまった。
「ごめんなさい……母が急にこんなことを……」真理さんは恥ずかしそうに目を伏せて謝った。
「い、いえ、こちらこそ……」僕も慌てて言葉を返す。お互いに緊張していて、しどろもどろな会話が続いたが、時間が経つにつれ、少しずつ言葉が自然に出てくるようになった。
「あの……また会っていただけますか?」顔を赤らめた真理の言葉に僕は驚きつつも、「は、はい、ぜひ」と答えた。その時、真理さんの口元に浮かんだ笑顔がどこか印象的だった。僕と真理さんの関係は、その日をきっかけに少しずつ進展していった。最初はメッセージのやり取りだけだったが、それだけでも僕には十分だった。仕事の合間に届く彼女からのメッセージは、日常の忙しさを和らげ、心を軽くしてくれるものだった。
「今日は寒いですね。お仕事、無理しないでくださいね」その言葉の一つ一つが、僕には驚くほど温かく感じられた。彼女のメッセージに返信する時間が、いつの間にか僕の日々の中で楽しみになっていた。
やり取りを重ねる中で、真理さんのことを少しずつ知った。彼女はSNSマーケティングの仕事をしていて、自宅で作業することが多いという。男性恐怖症だと打ち明けてくれた。
「実は……昔、少し怖い思いをして、それ以来、どうしても男性が苦手で……」彼女の声は震えていて、勇気を振り絞って話してくれているのが伝わった。その話を聞いたとき、僕の胸には自然と「守りたい」という気持ちが芽生えていた。
「でも、不思議と新田さんにはそういう気持ちにならないんです。安心できるというか……」その言葉は、僕にとって何よりも嬉しいものだった。僕も、これまで誰にも話したことのなかった自分の過去を語る勇気が湧いてきた。「実は僕、施設で育ったんです。両親に捨てられて、ずっと施設で暮らしていました。でも、高校を出てから今の師匠に拾ってもらったんです」真理さんは驚きもせず、ただ静かに僕の話に耳を傾けてくれた。そして、柔らかく微笑みながら言った。
「だから新田さんは、こんなに優しいんですね」その言葉が、僕の心の奥深くに染み込んだ。僕はこれまで、自分の過去を人に話すのを避けていた。でも、真理さんには不思議と素直に話せたのだ。二度目のデートでは、最初こそお互いに緊張していたものの、徐々に自然に話ができるようになっていった。彼女といると、不思議と時間があっという間に過ぎていく。デートの別れ際、彼女が少し寂しそうな顔をしながら「次はどこに行きましょうか?」と聞いてきたとき、僕はまた会いたいと思う自分の気持ちを改めて実感した。
そんな中、工房に大きな出来事が訪れた。師匠が突然倒れ、女将さんが「工房を閉じるしかないかもしれない」とつぶやいたのだ。工房には借金が残っており、経営は厳しい状態だった。弟子たちの中には、すでに他の仕事を探し始めた者もいた。そんな中で、僕はどうしてもこの伝統を守りたかった。
「僕が引き継ぎます」女将さんにそう伝えると、彼女はしばらく黙って僕を見つめた後、静かに言った。
「覚悟はあるのね。でも、借金もあるし、経営は簡単じゃないわよ」確かに経営のことは何もわからなかった。それでも、僕は諦めるつもりはなかった。
「師匠や皆さんに育ててもらった恩を返したいんです。それに、この伝統を絶やすわけにはいきません」その話を真理さんにすると、田中さんから「それなら、私が出資しますよ」と提案してくれた。ありがたかったが、それを受け入れるのは気が引けた。僕は自分の力で立ち上げたいと思ったからだ。すると、真理さんが目を輝かせて言った。
「私にも手伝わせてください。SNSで宣伝すれば、もっと多くの人にこの仕事のことを知ってもらえると思います!」その言葉に救われた思いだった。工房の名前を「金継ぎ工房 縁(えにし)」と新しく名付け、再スタートを切ることにした。真理さんの宣伝活動のおかげで少しずつ依頼が増え、工房は再び活気を取り戻した。僕が修復作業に集中できたのも、彼女の支えがあったからだ。
工房の経営が安定し始めた頃、僕は真理さんにプロポーズをした。「真理さん、僕と結婚してください」彼女は目を大きく見開いた後、涙を浮かべながら「はい!」と答え、その瞬間、僕も涙が溢れて止まらなかった。生まれて初めてのキスは、ぎこちなかったが温かかった。僕はそっと彼女の手を握りながら囁いた。
「続きは……結婚してからだね」彼女は恥ずかしそうに微笑みながら「待ってます」と答えた。

それから10年。工房は真理さんのサポートもあり、海外からも依頼が来るほどに成長した。店先には、双子の息子たちが「いらっしゃいませ!」と可愛らしく声をかける姿があった。彼らは常連客からも愛される存在だ。義母になった田中さんも頻繁に孫に会いに訪れ、嬉しそうに目を細めている。僕たち家族を見守るように、あの日修復した壺は今でも家に飾られている。壊れた壺が繋いだ縁は、僕にとって何より大切なものだ。それは、ただの陶器ではなく、僕たち家族の始まりを象徴する存在だった。

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