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僕の名前は平田祐樹、38歳。自営業で配達の仕事をしている。軽トラックに荷物を積み込み、朝から晩まで街中を走り回る。自分の時間なんてほとんどない。だけど、家に帰れば6歳の息子・優斗と4歳の娘・奈々が待っている。それが僕にとっての支えだ。
もっとも、妻の真理が生きていた頃は、こんなに大変だと感じたことはなかった。彼女が家事も育児も笑顔でこなしてくれたからだ。去年、あの事故で真理を失ってから、僕の生活は一変した。悲しむ暇もなく、目の前の現実に押しつぶされそうだった。
そんな僕を支えてくれたのが、真理の母と姉の美沙さんだ。美沙さんは39歳。バツイチで、5歳になる娘の芽衣を育てながら仕事をしている。彼女だって苦労しているはずなのに、時間を見つけては家に来てくれた。最初は義務感だったのかもしれない。でも、気づけば自然と僕たちは助け合うようになっていた。
子供たちは美沙さんが大好きだ。特に奈々は美沙さんがいると満面の笑みを浮かべる。芽衣も優斗や奈々とすっかり仲良しで、3人で遊ぶ姿を見ると、まるで本当の兄弟のようだった。
最近では美沙さんが泊まることも増えた。遅くまで家事を手伝ってくれて、そのまま子供たちと一緒に寝ることもしばしばだ。そんな彼女に僕は甘えすぎている気がする。でも、一緒にいると心が落ち着く。もしかしたら、僕が求めているのは美沙さん自身なのかもしれない。そう思うこともあった。
ある日、美沙さんが商店街の抽選会で温泉宿泊券を当てた。豪華旅館の露天風呂付き客室が2泊分。彼女は笑顔でその話をしてくれたが、僕は「忙しいので、子供たちだけで行ってきてください」と軽く断った。そうでも言わないと、自分の気持ちが揺らぎそうだったのだ。
でも、その夜、子供たちが「行きたい!」と大騒ぎし、美沙さんも「思い出のためですから」と真剣な顔で説得してきた。断れるはずもなく、僕も一緒に行くことになった。
旅館に着いたとき、僕は思わずため息をついた。外観からして立派で、中に入るとさらに豪華だった。案内された部屋は広々としていて、露天風呂までついている。子供たちは目を輝かせて跳びはね、美沙さんも嬉しそうに笑っていた。
夕食は子どもたちにとっては見たこともない程豪華で、目にも舌にも美味しい料理が次々と運ばれてきた。子供たちは「美味しい!」と大はしゃぎで食べている。芽衣は美沙さんの膝に座り、優斗は僕に「パパこれむいてあげる」と得意げに見せてきた。こんな穏やかな時間を過ごすのは久しぶりだった。
食事の後、子供たちは真っ先に「お風呂!」と叫びだした。僕は「じゃあ優斗、大浴場に行くか」と誘ったが、優斗が「ここでみんなで一緒に入ろうよ!」とねだる。奈々も「お兄ちゃんと一緒がいい!」と手を引いてきて、結局、部屋の露天風呂に入ることになった。
湯船に子供3人を連れて入ると、当然狭い。でも、子供たちは「狭い!」と言いながらも楽しそうに笑い、僕もつい笑顔がこぼれた。「静かにしなさい」と注意しても、キャッキャとはしゃぐ声は止まらない。
そのとき、ふと背後で音がした。振り返ると、美沙さんが芽衣を連れて露天風呂にやってきた。彼女は恥ずかしそうにバスタオルを体に巻いていた。僕は焦りながら「寒いので、は、早く浸かってください」と言った。
その姿に、僕は言葉を失っていた。タオル越しに覗く鎖骨や濡れた髪が妙に艶っぽく見える。どうしてこんなにドキドキしているんだろう。焦る僕の横で、優斗が「みーちゃん、おっぱい大きい!」と子供らしい無邪気な言葉を大きな声で叫んだ。
「す、すみません!」と僕は慌てて謝ったが、美沙さんはくすっと笑って「子供の言うことですから」と答えた。その笑顔が妙に色っぽく見えて、僕は目のやり場に困った。
湯船はますます狭くなり、美沙さんの太ももが僕の足と交差し触れるたびに心臓が跳ねる。子供たちはおしくらまんじゅうのように押し合いながらキャッキャと笑い続ける。僕はその様子を見て微笑むふりをしていたが、心の中はかなり混乱していた。
美沙さんも何か言いたげに僕を見ているようだったが、結局何も言わず、子供たちに付き合ってアヒルのおもちゃで遊んでいた。その横顔が、どうしようもなく美しく見えた。
夜、子供たちは布団に入ると、あっという間に眠り込んだ。旅館に来てからの興奮と、温泉ではしゃいだ疲れが一気に出たのだろう。優斗は寝息を立て、奈々と芽衣に寄り添うように小さく丸まっている。その穏やかな寝顔を見ていると、少し気が緩んで肩の力が抜けた。
しかし、僕自身はなかなか寝付けなかった。あの露天風呂での出来事が頭から離れない。美沙さんの濡れた髪や、タオル越しの柔らかなラインを思い出してしまう。何を考えているんだ、と自分に言い聞かせても、気持ちが落ち着かない。
気分を変えようと、広縁に移動して冷蔵庫からビールを取り出した。静かな夜の空気に包まれながら一口飲むと、少しだけ心が軽くなるような気がした。
そんなとき、足音が聞こえた。振り返ると、美沙さんが現れた。彼女は浴衣姿で、髪は緩くまとめられている。その姿が妙に色っぽくて、僕は思わず視線をそらした。
「寝付けないんですか?」と美沙さんが静かに声をかけてきた。
「ああ、ちょっと……いろいろ考えちゃって」と僕は答えながら、もう一度ビールを飲んだ。
「私もです」と美沙さんが言いながら、僕の隣に座ってきた。向かいに座るかと思ったのに、隣だった。その距離の近さに、少しだけ緊張する。
「今日はありがとうございました」と、美沙さんがぽつりとつぶやいた。
「こちらこそ、子供たちも楽しそうだったし、僕も楽しかったですよ」と答えると、美沙さんは微笑んだ。そして、少し間を置いてからこう言った。
「祐樹さん……」
その言葉に、僕は息を呑んだ。視線を向けると、美沙さんは夜の闇を見つめながら続けた。
「最初は、お互い助け合えればと思っていたんです。…でも最近は、それだけじゃない気がして」
美沙さんの声は震えていて、それが彼女の本気を物語っていた。僕はその言葉の続きを、無意識に待っていた。
「私……いつのまにか祐樹さんのことを…」
心臓が高鳴った。彼女が何を伝えたいのか、もう分かっていた。けれど、僕はそれを信じていいのか迷った。
「美沙さん……」
それ以上の言葉が出てこなかった。でも、僕の沈黙に答えるように、美沙さんがそっと僕の手に触れた。その温もりに、僕は思わず彼女を抱き寄せてしまった。
「僕も同じ気持ちです」と、胸の奥から絞り出すように言った。
そして、僕たちは自然に唇を重ねた。その瞬間、今まで押し込めていた感情が一気に溢れ出すようだった。彼女の唇は柔らかく、温かくて、心の奥に染み込んでいくようだった。
そう言いながら、美沙さんは布団の中で僕の手を取り、自分の浴衣の襟元をそっと開いた。薄暗い月明かりに照らされた彼女の白い肌が、さらに艶っぽく見えた。
そして、その夜、僕たちは子どもたちにバレないように声を抑えながら、お互いの存在を確かめ合うように抱き合った。
翌朝、子供たちは目を覚ますと「お腹空いた!」と元気に騒ぎ出した。優斗と奈々は朝食を待ちきれずにテーブルに座り、芽衣もそれに加わった。その様子を、美沙さんと並んで見ていると、まるで本当の家族のようだと感じた。
「良い朝だな…」と僕がつぶやくと、美沙さんは微笑んで答えた。
「きっと、みんなで幸せになれますよ」
その言葉を聞いて、僕は心の底から思った。この家族を守りたい。この幸せを壊したくない、と。ハンドルを握る僕の手には、新たな決意が宿っていた。