「正也さん…」私は恐怖で体が震えていたが勇気をもってお義兄さんの胸に飛び込んだ。
「大丈夫だ、俺に任せておけ」とお義兄さんは私をぎゅっと強く抱きしめた。
(あぁ、ようやく解放される)
「どうしてあの男としゃべってたんだ」夫は顔を真っ赤にしながら迫ってくる。
「ごめんなさい。」夫は私が異性と話しているだけで怒り出す。
昔はこんな人じゃなかった。優しくて思いやりのある主人だった。だが、彼はどんどんと変わっていき、最終的には家を出ることすら許されなくなってしまった。結婚した当初はやきもちなんて妬いて可愛らしい人だなと思っていた。だけど、そのやきもちはどんどんと大きな嫉妬となり怒りに変わっていった。買い物に行って店員さんと話すだけでも怒る状態になった。
それでも私は夫のことが好きだから我慢できていた。
でもその後、決定的なことが起こった。それは私が女友達とご飯を食べに行って、少し帰るのが遅くなったことだった。
「おまえ、浮気しているのか?」玄関を開けた瞬間夫は仁王立ちしていた。
夫が知ってる女友達だよと言っても納得しない。その時、初めて私は彼に暴力を振るわれた。
震えと恐怖で泣いてしまい、うまく説明できない。それが彼を余計に刺激したのか、ヒートアップさせてしまった。さんざん怒ったあと、彼の怒りが収まりかけた時に、私は女友達に電話をして夫に説明してもらった。
勘違いだとようやく理解した夫は、泣きながら謝る。今思えば、それで許してしまった私が悪いのだと思う。というかもうすでに正常な判断が出来なくなっていたのだと思う。
これ以降、彼の家庭内暴力が当たり前になった。そして締め付けはもっと厳しくなり、買い物すら夫が済ませてくる。
必要ないだろうということで、お金すら自由に使えなくなった。このころの私は、とにかく夫を刺激しない事、夫の顔色を窺って生きていた。
そんなある時、夫の兄が帰国してきた。日本での滞在中、1週間ほど我が家に泊まるそうだ。
夫は、兄の正也さんから電話があった時、始めは断っていた。だが、やはり兄からの頼みは断れなかったのか、うちに滞在することになった。
「来週から兄貴が泊まるから、ちゃんと対応するんだぞ」
「はい。」余計なことは言えない。いつも返事するだけだ。
1週間後、正也さんがやってきた。
「おお、久しぶりだな。よろしく頼むよ」
夫は愛想もなく正也さんを迎え入れる。
「1週間お世話になります」正也さんが私に話しかける。
「お久しぶりです。」と声を掛けるも夫の目があるからおどおどしていた。
「香織さん、どうしたんだい?」と正也さんは心配して話しかけてきた。
「それよりも、これからどうするんだよ」と夫が話を遮り私から正也さんの視線を無理やり外した。夕食後、夫の入浴中に
「香織さん、何かあったのか?」
「いえ、何も無いです」
その時、正也さんに腕を掴まれ、袖をまくられた。私の腕にあるあざを見て
「やっぱり。」
「おかしいと思ったんだよ、あれだけ明るい香織さんが、びくびくしていたから」
私は何も答えられず、震えていた。
「あいつがやったんだな?」その時、夫がお風呂から上がってくる音が聞こえた。
「この話はまた明日。」
「おお、俺もお風呂もらうわな」と言い正也さんはお風呂に入っていった。
翌日、夫と正也さんは一緒に仕事に向かい出て行ったのだが、30分後ピンポンとチャイムが鳴り正也さんが戻ってきたのでした。
「え?どうしたんですか?」
「君の話を聞きに来たんだよ」私に被害が行かないように一旦出たことにしてくれたみたいでした。
中々恐怖を植え付けられているのか話すことが出来なかった私でしたが、正也さんは優しく接してくれ私が話せるまで待ってくれました。
日常的に暴力を受けていること。お金は与えられずほぼ監禁状態であること。スマホすらチェックされ友人と話すことすら出来ていない。
など全てを正也さんに話した。
「良く話してくれたね」
「すまないね。それにしてもわが弟ながらひどい人間になったもんだ」
「正也さん…」恐怖で震えている私をお義兄さんはそっと引きよせた。
体が条件反射のようにビクッとしたが、正也さんの優しい瞳に自然と涙が溢れてきた。
「大丈夫だ、俺に任せておけ」とお義兄さんは私をぎゅっと強く抱きしめた。
(あぁ、ようやく解放される)
正也さんによると、今後は日本での勤務地になるらしく、もう新しく住むところは決まっているらしい。ガス、水道、家電などが揃うまでの間うちに住む予定だったそうだ。
「6日後に俺と一緒にこの家から出よう」私は恐怖で躊躇していた。
「大丈夫だ。任せておいて」
それから6日後、主人が仕事中に正也さんと私は家を出た。机の上に離婚届を置いて。
その後夫とは会っていない。全て正也さんがうまくやってくれた。
夫は激高していたが、全てを会社に報告し、警察沙汰にしても良いのかと脅すとすんなり引き下がったらしい。
・・・
その後、あれから半年がたったのですが、私はまだ正也さんの家で暮らしています。
地獄の10年にも及ぶ結婚生活はようやく終わった。
ただ、どこで夫と会うかわからない恐怖で私はまだ家を出ることすらできていなかった。
「香織さん、もう大丈夫なんだよ。」
「はい、でも…」
「俺、今度また海外に行くことが決まったんだ。」
衝撃的な言葉にあの時の恐怖が蘇り、私はまた体が震えていた。
彼は大丈夫だと優しく私を抱きしめ、落ち着かせてくれた。
「香織さん、いや、香織。」
「放っておけないから言ってるんじゃないよ」
「半年一緒に暮らして、君のことが好きになってしまったよ」
「一緒についてきてくれるかい?」
彼も緊張しているのだろう、手と声が震えていた。
この時初めて自分の事だけじゃなく相手のことまで考える余裕が出ている自分に気が付いた。
「はい、連れて行ってください。」
私は思い切って彼の胸に飛び込みました。
そして、私は海外の地で今までのことが嘘のようにのびのびと暮らしています。
前のことが頭にはありましたが、正也さんはずっと優しいまま私のことを大切にしてくれています。