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秘め事~ベランダであんな事するなんて~

いつまでも若く感動純愛
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「ベランダはあんなことする所じゃないでしょ?」
その一言が、耳にこびりついて離れない。隣に住む田村みなみさんの冷たい声と鋭い視線が、胸の奥をえぐるようだった。
僕の名前は近藤信也、44歳で未だ独身。恋愛には疎いというか、もはや遠ざかって久しい。郊外ながらも都心の夜景を一望することができる僕の部屋で、夜風を感じながら飲む酒――それが僕の小さな贅沢だった。
ただ、一つだけその「静けさ」を乱す存在がいた。隣の部屋に住む田村みなみさん。30代半ばくらいの彼女は、洗練された雰囲気を纏い、目を引く美人だった。挨拶を交わすたび、その美しい瞳と柔らかな声に一瞬心が乱れる。だが、その目にはどこか冷たさが宿り、僕に向けられる態度もどこかよそよそしい。というよりも何か怒っているかのように睨まれている気がする。

 最近、運動不足を感じた僕はジョギングを始めた。早朝の澄んだ空気を吸いながら走るのは想像以上に気持ちが良かった。が、彼女もランニングをしているらしく頻繁に遭遇するようになったことに、僕の心はざわついていた。ランニングウェアに身を包み、長い髪を後ろでまとめて走る彼女の姿はどこか凛としていて、美しく、見惚れるほどだった。けれど、顔を合わせると彼女は冷たい目で僕を見つめ、挨拶も軽く無視されることが増えた。
「何かしただろうか?」そんな考えが頭を巡るが、心当たりはない。挨拶以上の会話を交わしたことすらない彼女に嫌われる理由なんて、見当もつかなかった。
 そんなある朝、ジョギングから帰ってマンションに戻ると、偶然エレベーターで彼女と二人きりになった。狭い空間に漂う彼女の香水の香りが、緊張に拍車をかける。僕は思い切って声をかけた。
「おはようございます」小さな声ながらも、いつもよりしっかりと挨拶をしたつもりだった。だが彼女は、無言のまま壁に向き直る。耐えきれず、思わず声を張り上げた。
「すみません、僕、何かしましたか? うるさくしたり、迷惑をかけていたなら言ってください!」彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに険しい表情を作り、冷たい声で答えた。
「ベランダはあんなことする所じゃないでしょ?」その言葉に、僕は完全に固まった。
「え……僕が、ですか? ベランダで、何を……?」意味が分からず、問い返す。だが、彼女は「もういいです」と吐き捨てるように言い、エレベーターを降りて行った。その後ろ姿が、これ以上ないほど冷たく見えた。
「ベランダですることじゃない」。その言葉が頭の中を何度も巡った。僕がベランダですることと言えば、洗濯物を干すか、夜景を眺めながら酒を飲むことくらいだ。それ以上のことなんて考えられない。それなのに、あんな目で睨まれる理由が分からない。その日は、いつものように夜景を眺めながら晩酌をする気にもなれず、部屋の中で悶々と過ごした。

数日後、兄から電話がかかってきた。彼は昔から自分勝手で、悪びれることを知らない性格だ。
「おい信也、また部屋貸してくれよ」「は? 部屋? 何の話だよ。」
「いや、この前さ、熱帯魚の餌やり頼まれただろ? あの時、彼女を呼んでさ。そこで飲んでたんだよ。じゃあ夜景がすげえ綺麗で雰囲気がよくなっちゃってさ」耳を疑った。いや、聞き間違いであってほしかった。
「彼女って……。まさか、ベランダで……」
「悪い悪い。雰囲気良くなってさ。でも心配すんな、ベッドは使ってねえよ!」
「勝手に人の家をホテル代わりにするな!」怒りに任せて声を張り上げると、兄は適当にごまかすように笑い、さらりと言い放った。
「いや、だからさ、声も押し殺して。でもそれが余計に燃えたんだよ――」その瞬間、全てが繋がった。僕が入院している間にエサやりをお願いしていただけなのに、兄は女を連れ込んでいたのだ。僕が何もしていないのに隣人の彼女から冷たい目で見られていた理由が今ようやく理解できた。
「……ふざけんなよ!」僕は電話口で怒鳴ったが、兄は相変わらずの調子だった。
「まあまあ、悪かったって。今度はベランダは使わないから頼むよ…」
「絶対に貸さない!しつこいと留美さんに言いつけるぞ!」電話を叩き切り、頭を抱えた。
ただ、これをどうやって彼女に説明すればいいのか。「実は僕じゃなくて、兄が不倫相手を連れ込んで……」なんて言い訳をしたところで、信じてもらえるはずがない。ましてや、いい歳したおっさんがベランダでにゃんにゃんしていたなんて想像しただけでも恥ずかしい。

その夜、いつものようにベランダに出て、酒を飲みながらぼんやりと考え込んでいた。そんな時だった。隣の部屋から突然、「やめて!」という叫び声が聞こえた。
「やめて!」「こないで!」夜の静寂を引き裂く叫び声が、隣の部屋から響いた。思わず身を乗り出しベランダ越しに隣室を覗き込む。カーテン越しに2つの動く人影が見えたが、それ以上は分からない。胸が張り裂けそうなほどに鼓動が速くなり、全身に冷たい汗が噴き出した。咄嗟に彼女の部屋の玄関へと走った。チャイムを連打するも返事はない。内側からは物音が続いている。「助けて!」という悲痛な声が再び響いた瞬間、僕の中の理性が吹き飛んだ。
「田村さん、大丈夫ですか!? 入りますよ!」ドアノブを掴み、大声で叫ぶ。その瞬間、ドアが突然内側から開いた。次の瞬間、飛び出してきた人に突き飛ばされ、僕は後ろの壁に叩きつけられた。激痛が頭を走り、視界が揺れる。
意識が遠のく中、目に映ったのは、走り去る男の姿だった。黒いジャケットにデニムパンツ、そして目を引く真新しい白いスニーカー――まるでその場に似つかわしくないほど清潔感がある靴だった。
「近藤さん! しっかりしてください!」耳元で聞こえたのは、震えた彼女の声だった。意識が遠のく中、彼女が必死に僕を揺さぶる感触だけが確かに残っていた。
目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。頭に包帯が巻かれ、体中がだるい。隣には彼女――田村みなみさんが座っていた。心配そうに僕を見つめるその表情は、これまでの冷たい態度からは想像もつかないほど柔らかだった。
「近藤さん……本当にごめんなさい。私のせいで、こんな目に……」彼女は小さく震えながら頭を下げる。その瞳には涙が浮かんでいた。話を聞くと、部屋に侵入してきたのは以前から彼女をつけ回していたストーカーだったという。警察に相談しても証拠が揃わず、誰にも話せずに怯えていたらしい。僕が駆けつけたことで彼女は未遂で済んだが、その恐怖がどれほどのものだったかは想像に難くない。
「それと……これまでのことも。本当に申し訳ありませんでした」彼女は消え入りそうな声で語り始めた。僕に冷たく接していた理由は、ベランダでの出来事を僕だと思い込んでいたからだという。
「でも、下のお名前をさっき知って……ようやく分かりました。全て、私の勘違いでした……あの時の女性の声は正也さんって言ってたので…」僕は溜息をつき、思い切って兄の話を打ち明けた。僕が入院している間にエサやりを頼んだだけなのに、兄が不倫相手を連れ込み、勝手に部屋を使っていたことを。
「……本当に、私ったら……ひどい態度取って……」彼女は言葉に詰まりながら、またうつむく。その表情に、一瞬胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
 その後、僕の証言によりすぐに犯人は逮捕された。僕が欲しくて買えなかった限定品のスニーカーが逮捕の決め手になったそうだ。そして退院後、彼女が「お礼をしたい」と自宅に招待してくれた。夜景が見える窓際の席で、二人きりの時間を過ごす。僕の部屋と同じつくりなのに部屋は彼女らしく、どこか洗練されていながらも温かみのある空間だった。
「本当に、助けてくださってありがとうございました……。あのままだったら私、どうなっていたか……」彼女が静かに言葉を紡ぐ。その手が小さく震えているのが分かる。
「いえ、当然のことをしただけですよ。僕が気づくのが遅かったくらいで……」
「そんなこと……」彼女は少し涙ぐんだ瞳でこちらを見た。その目がまっすぐに僕を見つめていることに気づいた瞬間、胸がざわつくのを感じた。
「最初は少し怖い人だと思っていたんです。でも、本当はすごく優しい人なんですね……」その一言に、僕は心臓が跳ね上がるのを感じた。
「怖い人……か。確かに、みなみさんにはずっとそう見えてたのかもしれないですね」そう言いながら笑ったが、その言葉に彼女は首を振る。
「もう、そんな風には思いませんよ」そう言って、彼女は小さく微笑んだ。その笑顔に胸が熱くなり、気づけばテーブル越しに彼女の手に触れていた。彼女の指は、驚くほど柔らかく温かかった。その感触が、僕の中で何かをはっきりと変えた。
「みなみさん……」
名前を呼び合う声が妙に近く感じた瞬間、彼女がそっと目を閉じた。その仕草に引き寄せられるように、僕は彼女に顔を近づける。そして、唇が触れた瞬間――胸の中に溢れるほどの温かさが広がり、世界の全てが止まったように感じた。夜景の光が彼女の髪を柔らかく照らし、その顔は穏やかで優しい。僕の中で何かが芽生えた瞬間だった。

こうして、僕たちの新しい関係が始まった。誤解と不器用さから始まった僕たちが、こんなにも温かく彩られた未来を紡ぐことになるとは、想像すらしていなかった。

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