リビングのソファに腰掛けながら、何気なく台所を覗いたその瞬間、目に飛び込んできた光景に俺は息を呑んだ。なんと親父が、俺の妻・明子の手を握りしめていたのだ。二人はお互いを見つめ合い、柔らかな微笑みを浮かべていた。その瞬間、俺の胸はズキッと痛み、鼓動が異様に早くなっていた。明子が俺の視線に気づいて慌てて手を離したが、その動揺を隠しきれていないのは明らかだった。それ以来、俺は二人の行動に疑念を抱かずにはいられなくなっていた。
俺の名前は伊藤誠二、46歳。自営業で配達の仕事をしている。結婚してもうすぐ20年になるが、今ではその長い年月が、まるで重くのしかかる鎖のように感じている。妻の明子はもうすぐ40歳になろうとしている。俺たち夫婦は結婚当初、子作りには積極的ではなかった。お互い仕事に打ち込み、子供はまだいいと考えていた。それが10年も続いた後、ようやく二人で妊活を始めたのだが、思うように結果は出なかった。二人で医者に診てもらったのだが、特に大きな問題はなく、いつか自然に出来るだろうと、そう考えていた。だが、明子が40歳を目前にしても、俺たちはまだ子供を授かることができず、俺は次第にその夢を諦めかけていた。
それでも俺を苦しめていたのは、最近の妻の態度だった。彼女は俺の誘いを拒むことが増え、「今日は気分じゃない」「体調が悪い」といった言い訳ばかりを繰り返し断ってきた。そうして、気づけば半年以上もレス状態が続いている。俺たちの間に、見えない壁が築かれているように感じていた俺は、ある日思い切って妻にその理由を尋ねてみた。しかし彼女は「そんなことないわよ」と微笑み、すぐに話題を別の方向に逸らしてしまった。だが、その笑顔さえも、今では作り物にしか見えなくなった。
もう一つ、俺を悩ませる要因があった。それは、同居している親父の存在だ。昨年母が亡くなり、家事一つできない親父を不憫に思った俺は、彼との同居を提案した。親父の面倒を見ながら、妻と二人三脚で支え合う生活を描いていた。しかし現実は異なり、妻はその提案を驚くほどあっさりと受け入れたが、それが不自然に思えてならなかった。本来なら義理の親との同居はストレスが溜まるものだ。それなのに、彼女は一度も不平を口にせず、むしろ親父と二人きりの時間を楽しんでいるように見える節さえあった。
ある日、リビングのソファに腰掛けながら、何気なく台所を覗いたその瞬間、目に飛び込んできた光景に俺は息を呑んだ。なんと親父が、俺の妻・明子の手を握りしめていたのだ。二人はお互いを見つめ合い、柔らかな微笑みを浮かべていた。その瞬間、俺の胸はズキッと痛み、鼓動が異様に早くなっていた。明子が俺の視線に気づいて慌てて手を離したが、その動揺を隠しきれていないのは明らかだった。それ以来、俺は二人の行動に疑念を抱かずにはいられなくなっていた。
そんなある日の夜、俺はふと目を覚ました。その時、隣にいるはずの明子の姿が無い。普段ならトイレかもしれないと簡単に片付けてしまうところだが、その夜は何か雰囲気が違った。ただ、異様な眠気に襲われ、探しに行くこともできずに再び眠りについてしまった。翌朝、俺が問い詰めると、彼女は「お腹が痛くてトイレにこもっていたの」と答えたが、その言葉には確かに動揺が滲んでいた。最近、俺は仕事の疲れからか異常に眠くなるのが早くなり、年齢のせいなのかと自分を納得させてはいたのだが、もしかして何か飲まされているのかと勘ぐってしまうほどだった。
それ以来、俺の心は常に疑心暗鬼に包まれるようになった。妻と親父は不貞を働いているのではないか。彼らの態度や雰囲気から、次第に俺はそう確信するようになった。しかし、その事実をどう受け止めるべきなのか、自分でもわからなかった。俺は決定的な証拠を求めていた。
ある日、自営業という立場を利用し、普段の時間とは違う夕方にこっそりと自宅に戻った。車を少し離れた場所に停め、足音を忍ばせて裏口へ回り込んだ。家の中から漏れ聞こえる声、その瞬間、俺の心は崩壊した。明子の喘ぎ声が親父のものと重なり聞こえてきたのだ。すべてが明らかになり、もう証拠など必要がなかった。普通の男なら逆上して乗り込むのかもしれない。しかし、俺は何も言えず、その場を逃げるように去った。
車まで戻るまでの道中、すれ違う人々が俺の顔を見てギョッとした表情を浮かべるのを感じた。信じていた妻、愛していた妻、その笑顔が偽物である現実に直面した俺の顔はどれほど歪んでいたのか、自分でも想像がつかない。
車に戻り、俺は考えた。このまま身を引いて、妻と親父を許すべきなのか?いや、それはあまりにも理不尽だ。怒鳴り込んで、慰謝料を要求する?そんなことをしても何も得られない。むしろ、彼らの不倫の事実が明るみに出れば、さらに傷つくのは自分だ。
そうだ、俺は彼らにいなくなってもらおう。それしかない。そう決意した時、俺の中に一種の冷静さが芽生えた。不思議と計画を練っているときは、今までの感情がどこかへ消えてしまったかのような不思議な感覚だった。
ちょうど来月、親父が70歳の誕生日を迎える。その古希の祝いの夜に、俺は計画を実行することにした。二人に大量に酒を飲ませ、その隙に家が失火するように仕向ける。そして彼らをこの世から抹消する、それが俺に残された唯一の復讐方法だと信じ込んでいた。
計画は着々と進み、そして決行の時が訪れた。二人は酔いつぶれている。自然と炎が広がるように手配し、家が炎に包まれる中、俺は自室のベッドに戻り目を閉じた。そんな時妻の叫び声が聞こえてきた。「あなた、助けて!」その声に、こんな時だけ俺に助けを求めるのか、と一瞬だけ心が揺さぶられたが、もう炎に包まれている。どうすることも出来ない。俺はそのまま動かずに目を閉じた。これで全てが終わる。俺の人生は何だったのだろうか…。
だが、次に目を開けた時、俺は病院のベッドの上に横たわっていた。看護師から、俺だけが助け出されたという事実を聞かされ、その言葉が俺の胸をさらに締め付けた。計画は成功したはずだったのに、俺の心は空っぽだった。何も感じることができなかった。ただただ、虚しさだけが俺の心を支配していた。