俺の名前は岩田俊樹65歳です。妻は俺より10歳年下の55歳です。これまで俺は家庭のことをほぼ妻に任せきりでした。そのため子供たちともぎくしゃくしていた時期があります。仕事に集中することが悪かったとは言いませんが、家族にも理解されずに孤立していくのかなと思っていたら妻が子供たちにしっかりと言い聞かせてくれたんです。
「お父さんが仕事をしてくれているから、あなたたちのおもちゃや漫画が買えるのよ?それにお父さんだってあなたたちの学校行事に参加したいけど仕事でできないの。悲しいのは自分だけだと思わないようにしなきゃね」
子供たちが妻の言葉で完全に納得したわけではないでしょう。だけど、俺が仕事だからと言って「家族を大事にしていない」と子供たちが言うようなことはなくなりました。それだけではなく、成長に伴って「お父さんいつもお疲れ様」なんて言ってくれることが増えたのです。はっきり言って子供たちから父親はいないと思われても仕方ないくらいでした。だけど、妻が子供と俺の間に入ってくれたことで同僚や上司たちのように子供から嫌われるという事態は免れました。
このように家族のためにいつも立ち回ってくれていた妻だからこそ、定年をしたらいろいろな願いを叶えてやりたいと思っていたんです。妻は元々あまり自分のやりたいことやほしいものを言わない性格です。自分のものを買うくらいなら子供たちと一緒に外食でもしようと言うような性格だったので、定年が近くなった頃からいろいろと計画をしていました。旅行や女性が喜びそうなアクセサリーなど、サプライズでプレゼントすれば喜んでくれるだろうかなんて年甲斐もなくわくわくしていたものです。子供たちにも相談したりして「お父さんってやっぱりお母さんのことが大好きなんだね」とからかわれることもありました。
だけど、妻は今入院をしています。体調不良で検査をしたら入院ということになり、俺だけが医者に呼ばれました。そこで言われたのです。妻の身体にはどうしようもない病魔があり、決して長くないだろうと。医者からの言葉を聞いた時「今どきの病院はタチの悪いどっきりをするのか」と思ったほどです。本人に告知をするべきかと言われた時「それはやめてください」と無意識のうちに答えていました。
自分の余命が短いことを知って受け入れる人もいれば、やけになる人だっています。妻がどちらなのか分かりませんが、残り少ない命であればせめて穏やかに逝ってほしいと思うようになりました。それから子供たちには妻の病気のことや余命のことを話しました。まだ学生であれば隠し通すという方法も考えましたが、子供たちも成人して家庭を持っています。きっと後から知って、ああしておけば良かった、こうしておけば良かったと後悔してほしくなかったからです。
「ねぇ、父さん。母さんには言わなくていいの?」
息子が妻に告知をしなくていいのかと聞いてきましたが、穏やかに過ごしてほしいということを伝えて告知しないことを決めたと話しました。娘は理解してくれていますが、息子は「自分の身体なんだから知っておきたいんじゃないかな」と考えるようになったのだとか。確かに俺が妻の立場であれば自分のことなんだから知っておきたいと考えるでしょう。だけど、同時に「死にたくない」や「いつ死んでしまうのか」と考えてしまうと思うんです。俺や子供たちが一緒にいる時は考えなくても病室でひとり残されている時は、嫌なことを考えてしまうはずです。自己満足と言われても構いません。妻にそんな不安を与えたくなかったのです。そのことを息子に話すと「確かに、それはそうだね」と納得してくれました。
それから、妻が寂しくならないようにできるだけ病院に行くようにしました。俺は定年をしていることもあって、比較的自由になる時間が多くあります。自慢というわけでもないのですが、それなりに稼いでいて退職金や年金も予想していた以上に入ってくるので、妻のお見舞いに行く時は好きだったスイーツや雑誌、花などを抱えていきました。スイーツに関しては大丈夫か不安だったので必ず事前に医者に確認を取るようにしています。食べすぎは良くないけど、ケーキ1つくらいだったら問題ないですよと言われて、妻が好きそうなケーキをお見舞いのたびに買うようにしています。
「あなた、お見舞いに来られるたびに毎回甘いものを持ってこられたら虫歯になっちゃいます」
苦笑しながらも「おいしいですけどね」と言いながら食べてくれる。たった数百円のケーキでここまで幸せそうな顔を見せてくれるのに、どうして今までしなかったのかと後悔ばかりが押し寄せてきます。
「あなた、最近ちょっと変よ?山のようにお見舞いの品を持ってきてくれるのは嬉しいけど、全部あなたが苦手にしているものじゃない?」
「そ、それは」
確かにケーキ屋も花屋も苦手でひとりで入ることなんて今回のことがなければなかった。本にしても妻が好むものと俺が好むものはまったく違う。だから正直妻が読む雑誌のコーナーに入ることさえ恥ずかしかったりする。多分、他の人から見ればきっと俺なんて気にも留めていないのでしょうが、今まで立ち入らなかったからこそ恥ずかしくなるのだと思います。
「でも嬉しいな。あなたからのプレゼント」
「え?」
「今まで何かプレゼントしてもらう時は、あなたも何が欲しいって聞いてきたじゃない?」
「あぁ、確かに」
俺の好みでがっかりさせるよりも、妻が欲しいものを聞いてプレゼントした方がいいと思ったので何かを贈る時は一緒に買いに行ったり事前に聞いたりすることがほとんどでした。
「だからケーキひとつでもあなたが私のことを考えながら選んでくれたのが嬉しいのよ」
そう言って、今日買ってきたケーキを食べる妻はすごく嬉しそうです。確かに同じケーキばかりでは飽きてしまうだろうといろいろ考えながら選んでいます。どちらかと言えば妻はチョコクリームより普通のクリームの方が好きなので、ショートケーキ系のものが多いです。他にも治療の影響で食べづらいと言っていたからプリンなど柔らかなものを選ぶことも増えてきました。妻の好きそうなものを選ぶ、たったこれだけでここまで喜ばれるなんて自分がいかに家族のことを任せきりにしていたのかといたたまれない気持ちになります。
そして入退院を繰り返し、妻の闘病生活は1年ほど続きました。ある春の日、妻はひっそりとこの世を去ったのです。だけど、妻の遺品を整理していた時に驚くべき事実を知りました。それは、妻が自分の病気のことを知っていたということです。俺や子供たちの様子がおかしいので先生を問い詰めたと日記に書かれていました。そして、最後のページには俺や子供たちへの感謝の言葉が書かれていました。
俺のところには「あなたはウソが下手なんだからこれからはウソをつかないようにね」と書かれています。俺だってウソは嫌いなので妻や子供たちに関することでなければ、ウソをつくことはありません。俺がウソをついていると分かっていて、妻はどんな気持ちだったのでしょうか。きっとこの言葉はくすくすと笑いながら書いていたと思います。教えてくれなかったと言うのではなく、どうして言えなかったのかということを考えてくれたのでしょう。妻とはもう新しい思い出を作ることはできません。だけど、これまでの思い出がきっとこれからの俺の人生を支えてくれることでしょう。