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二人の妻~単身赴任中につい

いつまでも若く背徳裏切り

結婚までの道のりは驚くほどスムーズに進み、ついにその日が訪れた。ここに用意されている婚姻届を明日俺が役場に持って行ったら完了だ。 「じゃ、明日よろしくね」と、小夜子は目を輝かせてお願いしてきた。「うん、朝いちばんで出してくるよ」と任せておけという態度で返事をしたが、その純粋な笑顔に俺の心は一瞬で罪悪感に包まれた。そう、俺には重く大きな秘密があったのだ。実は5年前に結婚し、妻がいる。

俺の名前は勇作。明日妻になる小夜子とは付き合って3年になる。 出会いは、4年前にさかのぼる。俺は自分で言うのもなんだが優しい性格をしていると思う。ある日の仕事帰り、階段で女性が苦しんでいるのを見つけたことから始まる。困っている彼女を見かけた時、声をかける勇気が無くて一度は素通りしてしまった。しかし、その姿がどうしても頭から離れず、気がつけば彼女の元へと戻っていた。体調の悪そうな彼女の前まで来て声を掛けると、「大丈夫です」と彼女は言うが明らかにフラフラしている。「本当に大丈夫ですか?」俺は彼女に肩を貸してあげ、少し休めるところまで移動させた。「大丈夫ですか?救急車呼びましょうか」と再度声を掛けたのだが、「少し休めば大丈夫」と彼女は言うのだが明らかに体調が悪そうに見えた。これ以上ほっておけないと独断で救急車を呼んだ。救急車が到着後、着いて行くか悩んだのだが赤の他人ということもあり、後のことは救急隊に任せた。その後彼女がどうなったか気にはなっていたが知る方法も無いのでそのままになっていた。
そしてそんなことがあったことをすっかり忘れかけた半年後に、その階段の前である女性に声を掛けられた。
その時はまだあの時の女性とは全く気付いていなかった。「こんばんは」と声を掛けられた俺は変なセールスか何かかと思い、「結構です」と断り足早に通り過ぎようとした。「待ってください。違います」と彼女は小走りで俺の前に回り込んだ。そこで俺はやっと顔を上げ彼女を見るとようやくあの時の女性だと分かった。彼女は「お礼が言いたかったんです。あの時は本当にありがとうございました」と深々と頭を下げられた。「もし良かったらお礼がてらに食事でもどうですか」と誘われたのだが、「いえいえ、たまたま気が付いただけなのでお気になさらずに」と一度は断った。だが案外彼女は押しが強く「お願いです。行きましょう」と腕を引っ張ってきた。「わかりました。行きますので」としぶしぶ彼女に着いていき一緒に焼肉を食べることになった。彼女の名前は小夜子さんといい、「あの時、救急車を呼んでくれていなかったら私は本当に死んでいました」「本当にありがとうございました」「今日はおごりますのでいっぱい、食べて飲んでくださいね」とはにかんだ笑顔でお願いしてきた。食事中に詳しく話を聞くと、今流行りの劇症型溶連菌感染症だったらしい。どこで感染したのかは分からないが、あと数時間遅かったら本当に命が危なかったらしい。良くて足の切断、悪ければ死んでいたよと医者から言われたそうだ。食事中彼女は俺に感謝しっぱなしだった。どうしても俺にお礼を伝えたかったらしく、3週間も階段の前で俺を探していたそうだ。元来彼女は行動力があり、この日以降彼女の押しに負け半年後に正式に付き合うことになったのだ。
彼女は当時40代手前でバリバリのキャリアウーマンだった。ただそれなのに、家庭的な女性だった。ゴミ屋敷とまではいかない俺の部屋だったが、それもすぐにきれいになった。さらに料理も美味く何もいうことが無い完璧な女性だった。なぜこんな女性が結婚もせずに相手がいなかったのかが不思議で仕方ない。
一度本人に直接聞いたことがあるのだが、仕事一筋で来たら行き遅れちゃったと本人は笑っていた。
そんなこんなで彼女との交際は順調に進み、晴れて結婚することになったのだ。
だが、俺には絶対に言えない秘密があった。
実は俺は5年前に結婚している。地元には妻を残して東京には単身赴任でやってきていたのだ。年8日間程は自宅に帰るが、もちろん小夜子に言えるはずもなく出張と嘘を付いてごまかしていた。地元に残した妻との仲は正直良くも悪くもない。妻に今までの5年間一度も単身赴任についての不満を言われたことはなかった。それどころか適度に会え、俺の家事をしなくていいこの状態が妻にとってベストな距離感なのだと思う。だが、その平穏も終わりを迎えようとしている。俺の心は焦りと罪悪感でいっぱいだった。
妻に対する情はもちろん残っている。突然離婚を切り出すなんて考えられなかった。一方で、小夜子に対する強い愛情も捨てきれない。彼女を失うことは考えられなかった。そんな気持ちのままズルズルと優柔不断なまま過ごしているとどんどん結婚にまで向かっていった。そして明日、婚姻届を出す日になってしまった。

仕事から帰ると「あなた、おかえりなさい」 「今日から夫婦ね」と新婚初日の小夜子の顔は信じられない程輝いていた。俺はバッグを横に置き「これからもよろしくな」と小夜子を抱きしめた。嘘であるはずのこの婚姻。だが小夜子を抱きしめている間は何故か罪悪感は感じず、幸福感だけに支配されていた。
だが、現実にはこのバッグの中には提出していない婚姻届が入っている。嘘に嘘を重ねてきた俺は、感情が既におかしくなってしまっているのだろうか。いつかバレるのも分かっている。だがそれでも決断できないほど俺は麻痺しているのだった。

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