啓介は今夜も同僚であり、親友である伸一の家のリビングにお邪魔していた。部屋の静寂を切り裂くように、ビールの缶を開ける音が響く。
「カンパーイ」そう声を合わせた二人は、料理が並ぶ前にもう飲み始めていた。かつてなら、居酒屋で気ままに語り合う時間だったが、伸一が結婚してからは、このリビングでの飲みが定番になっていた。伸一の妻、優香がエプロンをつけたまま料理を運んでくる姿を見て、啓介はどこか安心感を覚える。だが、その光景は啓介にとって、奇妙な安らぎと同時に心のざわめきを呼び起こすものでもあった。
「啓介さん、これ、どうぞ。」優香はにこやかにテーブルに料理を並べる。ふんわりとした香りが漂い、温かな笑顔がその場を包み込む。その笑顔を見るたびに、啓介の胸の奥がチクリと痛んだ。
自分が彼女に惹かれているという罪悪感に、毎回押し潰されそうになる。優香は元々俺たちと同じ会社の同僚だった。ただ俺たちとは違う部署だったので接点は無かったのだが、美人でマドンナ的存在で有名だった。そんな彼女を、ある日伸一が結婚すると飲みの席に連れてきたときは本当に驚いた。
親友の妻だと分かっていながら、頭の片隅では、優香が自分のものだったらどれほど幸せだろうと妄想してしまう自分がいる。そんな思いが頭をよぎるたびに、啓介はビールをあおり、思考をかき消そうとする。
その夜も、三人で和やかに食事を終えたが、伸一は飲み過ぎてソファで寝てしまった。リビングには、静かな時間が流れる。優香が小さなため息をつき、少し沈んだ声で話し始める。
「ねえ、啓介さん…私たち、どう思う?」
「え?どうって?」酔いのせいか、啓介は一瞬彼女の言葉の意図がつかめなかった。
「最近、全然うまくいってなくて…」優香の声はかすかに震えていた。その告白に、啓介は無意識に彼女の隣に腰を下ろす。
「何かあったの?」優しく問いかける啓介の目に、優香の寂しげな表情が映る。彼女は少し視線を逸らし、悩むように唇を噛んでいた。
「伸ちゃん、最近仕事が忙しくてね…すれ違ってばっかりなの。私、家にいてもひとりぼっちみたいな気分で…会話も少ないし、なんだかこのまま何も変わらないのかなって思うと…寂しい。」
その言葉に、啓介は胸が締めつけられるのを感じた。彼女の孤独が痛いほど伝わってくる。沈黙が二人の間に流れ、啓介は優香の手をそっと取る。
「俺で良ければ、話くらいいつでも聞くよ。…伸一にもいろいろ聞きだしてみるし、あんまり深く考え込まないでね。」
優香は涙をこらえるように微笑んだ。「ありがとう、啓介さん。あなたがいてくれて良かった…」その言葉が、啓介の心に深く刺さる。親友の妻への気持ちが、自分の中で膨らんでいくのを抑えられない。
「啓介さんはどうしてそんなに優しいの…」
隣で伸一が寝ているのに、啓介は思わず優香を抱きしめるところだった。その場では何とか踏ん張ることが出来た啓介だったが、それから二人の関係は、徐々に変わっていった。
伸一が出張で家を空けるたび、啓介は優香を訪ねるようになっていった。最初は話を聞くだけだったはずが、次第に体も心も寄り添うようになっていった。
「これでいいのか」と毎回理性が叫んでいたが、啓介はもうその声に耳を貸すことができなかった。
「本当に、これでいいのかな…」優香がある夜、啓介の腕の中で呟いた。彼女の瞳は揺れていて、その不安が啓介の心にも染み込んでくる。「もしバレたら…」
「必ず守るよ。」そう言い、啓介は彼女を強く抱きしめた。それ以外の言葉は想いに溢れ何も口にすることは出来なかった。「必ず守る」啓介は心に何度もそう言い聞かせた。
それは彼自身にも向けた言葉でもあった。ただ、優香の温もりが、啓介の最後の理性をかき消していく。
その禁断の関係はなんと6年も続いた。表面上、伸一との関係は変わっておらず、親友としての時間も続いていたが、啓介は伸一の視線に微かな違和感を感じるようになっていた。
伸一が時折見せる、何かを探るような目つき。そのたびに、啓介の胸に小さな棘が刺さるような感覚が走った。
ある夜、伸一が出張に出かけると、啓介はいつものように優香のもとへ向かった。リビングの静寂が二人を包み込む中、優香はため息をつきながら切り出した。
「ねえ、最近伸ちゃんが私に変なことを聞いてくるの。『啓介のこと、どう思ってる?』とか、『啓介のことは好きか?』とか…どう返していいか分からなくて。」
啓介の心臓が凍りついた。伸一はもしかしたら気づいているのか?その可能性が啓介を不安の海に沈める。
「まさか、伸一…気づいてるのかな?」啓介がそう呟くと、優香は首を振る。
「わからない。でも…もしそうだったらどうするの?」優香の声には、不安と恐れがにじんでいた。啓介はその問いに答えられず、ただ彼女を抱きしめるしかなかった。
翌朝、伸一から電話がかかってきた。
「今週、また家で飲もうぜ。来てくれよ、優香も喜ぶからさ。」
その言葉は変わらず明るかったが、啓介はその裏に何かを感じ取っていた。まるで、伸一がすべてを知りながら許しているかのような、不気味な感覚が胸に重くのしかかる。
最後に玄関で別れ際、酔った伸一がぽつりと漏らした。「お前が幸せなら、それでいいさ。」その一言が啓介の心に深い疑念を生む。
伸一は本当に何も知らないのか、知りながら黙っているのか。確かめるすべはなく、啓介は罪と友情の狭間で揺れる心を抱えたまま、また次の出張の日を迎えるのだった。
啓介はこの禁断の関係に溺れたまま、親友との絆と裏切りの狭間で揺れながら、興奮と緊張、そして背徳の魔力に抗えずにいた。
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