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「今日はうなぎなんかどう?旦那さんに精力付けてもらって」と、魚屋のオジサンが義母の美紀さんに声をかける。
「何言ってるんですか、やめてよ」と美紀さんは、魚屋のオジサンと楽しそうに会話していた。彼女の笑顔には、俺の奥さんと勘違いされたことへの嬉しさが滲んでいる。美紀さんは、その言葉を受けて一瞬頬を赤らめながらも、どこか自信を持ったように笑みを浮かべていた。
俺の名前は拓真、38歳だ。今日は妻の母、美紀さんと買い物に出かけている。俺の妻はまだ23歳、俺とは一回り以上も年が離れている。介護職の俺は妻と職場で出会った。新卒で入ってきた彼女と俺は飲み会をきっかけにすぐに付き合うことになった。そしてすぐに妊娠してしまった。そんな妻は子どもに興味を示さずちょっとネグレクト気味なのだ。そんな状況を見かねた義母が息子の世話を買って出てくれている。そんなこともあり最近は義母の美紀さんと過ごす時間が増えていた。妻はまだ若く、精神年齢的に母親になる覚悟ができていなかったのだ。彼女は自分の時間が最優先で、子育てや家事にはほとんど関与せず、すべてを義母の美紀さんに任せている。俺もまた、美紀さんの助けを借りながら、育児と仕事をこなしている日々だ。
美紀さんは44歳だが、彼女の美しさは年齢を感じさせない。それどころか、どこか艶やかで魅力的だ。俺たちが一緒に歩くと、しばしば夫婦に間違えられる。最初はいちいち否定していたが、最近はその誤解を楽しむようにさえ感じている。実際、美紀さんが間違われるたびに、彼女の目が嬉しそうに輝き、まるで小さな女の子のように嬉しそうに飛び跳ねる姿を見るたび、俺の心は不思議と温かくなった。
「ふふっ、今日も間違われちゃった」
美紀さんのその言い方が、俺の胸に響く。彼女の笑顔は、どこか寂しさを隠しているようにも見えるが、その微笑みが彼女の魅力を一層引き立てていた。
「それは美紀さんが若いからですよ」
俺の言葉に、美紀さんはさらに嬉しそうに微笑む。
以前、人前でお義母さんと呼ばれるのが嫌だと言うので、それ以降は名前で呼ぶようにしている。
「そうは言っても、いつも娘が何もしなくてごめんなさいね」
「いえいえ、こちらこそ逆に申し訳ないくらいです」
「ううん、私は良いのよ。ね~、こうくん」
美紀さんはベビーカーに乗っている息子を抱き上げ、愛おしそうに抱きしめた。その姿はまさに母親そのものだった。
時が経つにつれ、妻の行動はさらにエスカレートしていった。夜遊びは当たり前、外泊も増えた。彼女は自分の楽しみを最優先し、家庭を放棄してしまっていた。まだ若い彼女にとって、友達と過ごす時間が何よりも大切だったのだろう。その無責任さに、俺の忍耐は限界に達し、ついに彼女を責めてしまった。
「いいかげんにしろよ!」
その言葉に、妻は叫び返した。
「なによ!私が悪いわけ?私は子供なんてまだ欲しくなかったのに!」
彼女はそのまま家を飛び出していった。そのやり取りを聞いていた美紀さんが、涙ぐみながらやってきた。
「ごめんなさいね、私が育てるから許してやって」
「いえいえ、お義母さんは何も悪くないです…」
その出来事を境に、俺と美紀さんの関係はますます奇妙なものになっていった。誰が見ても他人が見ると、美紀さんが俺の妻であり、妻が反抗期の娘のような関係に見える。美紀さんとの会話は、息子の話を中心に進み、まるで夫婦そのものだった。
そんなある日、妻から一枚の用紙が手渡された。離婚届だった。
「なんだよ、これ…」
「悪いんだけど離婚してくれる?」
妻の声は冷たく、無感情だった。
「本気で言ってるのか?…子どもはどうするんだよ」
「…私はもう好きな人が出来たの。ちゃんと出しといてね。もう帰ってこないから」
「お母さん、あとよろしくね!」
その言葉とともに、妻は荷物をまとめて家を出て行った。その瞬間、俺の心の中で何かが壊れる音がした。
美紀さんはその様子を黙って見ていたが、やがて耐えきれずに涙を流した。
「バカな娘でごめんなさい」
「いえ、僕が悪いんです」
「そんなことないわ、拓真くんは一生懸命、仕事も子育ても頑張ってるわ」
その言葉に、俺の心は少し救われた。しかし、美紀さんの涙は止まらない。彼女は深く息をつき、意を決したように言った。
「…私がこの子を育てちゃダメかな。」
俺は何も答えられず、ただ黙っていた。彼女の言葉には、深い愛情と覚悟が込められていた。
「拓真くん……私が奥さんになっちゃだめかな?」
その瞬間、俺の心臓は大きく跳ねた。
「え!?」 美紀さんの瞳は潤んでおり、その中には確固たる決意が宿っていた。彼女の言葉に隠された本音が、俺の胸に突き刺さる。
俺はこの半年間、美紀さんとの時間を思い返した。彼女と息子と過ごす日々、笑顔を交わす瞬間、彼女が俺の妻だったらと何度も想像してきたこと。彼女のぬくもりに触れるたび、俺は本当の家族として彼女と息子と生きたいと願うようになっていた。
「いや、美紀さん!」
「僕はずっと、美紀さんが妻だったらって思っていました!」 「でも、そんなこと言える状況じゃなかったし…ああああ」
「おかしな関係になっちゃうんですけど、僕の妻になってくれますか?」 俺は自分でも何を言っているのか分からないくらい、感情がぐちゃぐちゃになっていた。 「はい。ふふふっ。」 彼女の微笑みは、これまで見たことがないほど輝いていた。 「笑わないでくださいよ」 「ううん、嬉しい。不謹慎かもだけど私もそう思ってたよ。こんなおばさんだけど…よろしくね」 「いえ、美紀さんは美しいです」 その言葉を口にした瞬間、俺は美紀さんを息子ごと抱きしめた。そのぬくもりが、俺の心を満たしていくのを感じた。
俺はまず、妻ときちんと離婚し、親権を自分にした。そして、折を見て美紀さんと再婚することを決めた。奇妙な関係だが、今や美紀さんは息子のお母さんであり、俺の愛する妻となった。いつか息子が真実を知る時が来るかもしれない。しかし、この人以上に彼を愛し、守ってくれる人はいないと確信している。