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秘密の時間

いつまでも若く禁断背徳
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遠山拓郎は三十八歳の会社員で、暇さえあれば釣りに出かける人間だった。仕事が終われば釣具の手入れをし、休みの日には海へ向かう。釣りはただの趣味ではなく、彼にとっては一種の逃避のようなものだった。

家では妻の麻美が待っている。結婚してもう十年が過ぎた。夫婦仲は悪くないし、会話がないわけでもない。ただ、何かが物足りない。彼女は看護師として忙しく働き、夜勤の日も多い。休みが重なれば、一緒に食事をしたり出かけたりもするが、そういう機会は減っていた。もともとお互いに自立した関係だったし、会えない時間を埋める努力をしてこなかったわけではない。それでも、最近は会話が淡白になり、触れ合うことも減り、なんとなく流れる日常の中で、必要最低限のことだけを交わしているような気がしていた。

そんな生活の中で、釣りは彼にとって、考えずに済む時間だった。波の音を聞きながら、魚の気配を探る。風の匂いを感じ、無心に糸を垂らす。何かに没頭することで、余計なことを考えなくて済む。

ある夜、彼はいつものように海へ向かった。風は穏やかで、潮の流れも悪くない。ウキを見つめながら、時間を忘れる。そうして、ぼんやりとした心地よさに浸っていたとき、不意に短い悲鳴のような声が聞こえた。

反射的に振り向くと、少し離れた場所に人影が見えた。足元にしゃがみこんで、何かを拾おうとしているようだった。近づいて声をかけると、相手は驚いたように顔を上げた。

丸山佳苗と名乗ったその女性は、三十五歳だという。彼女は釣り系ユーチューバーで、撮影のためにひとりで夜釣りをしているらしかった。フォロワーはまだ少ないが、動画を作ることが楽しくて、コツコツと続けているのだと笑った。

三脚に立てられたカメラが、その証拠のように足元に転がっていた。暗い海の中では撮影が難しいらしく、試行錯誤しながら映像を残しているという。

そんな話を聞いているうちに、自然と会話が弾み、気がつけば並んで釣りをしていた。

それからというもの、釣り場に行くたびに彼女と会うことが増えた。最初は偶然だったはずが、いつしか意識的に同じ時間を選んで足を運ぶようになっていたのかもしれない。

佳苗は釣りが好きで、研究熱心だった。釣果を上げるためにいろいろと工夫を凝らし、新しい仕掛けやエサの配合を試しては、結果を細かく記録していた。彼女の話を聞いていると、自分が釣りを始めたばかりの頃を思い出す。単純に楽しくて、夢中になっていたあの頃のことを。

彼女と一緒にいると、ふとした瞬間にそんな懐かしさを感じることがあった。釣れた魚を嬉しそうに抱え、無邪気に喜ぶ姿を見ていると、昔の自分と重なるような気がした。

それは特別な感情ではない。あくまで釣り仲間として、気の合う相手として、楽しい時間を共有しているだけのはずだった。

なのに、ふとした瞬間に、彼女の横顔が妙に気になったり、近くにいるだけで妙に意識してしまうことが増えていた。

ある日、何気なく家でテレビを見ていたとき、麻美がふとつぶやいた。

「最近、楽しそうね」何気ない一言だった。深い意味はないのかもしれない。それでも、胸の奥に何かが引っかかった。

楽しい、のかもしれない。釣り場に行けば佳苗がいるかもしれないと思うと、なんとなく心が浮つく。彼女と話す時間が、日常の中でちょっとした楽しみになっていることに気づいていた。

それは、いいことなのか?

そう思うと、少しだけ罪悪感のようなものが生まれた。麻美と過ごす時間よりも、佳苗との時間のほうが心地よいと感じることが増えている。それは、夫としてどうなのか。そう考えながらも、彼女とまた会えるかもしれないと思うと、少しだけ心が浮き立つ。

その夜、風が強かった。波の音がいつもより激しく、海がうねっているのがわかった。佳苗は少し離れた場所で釣り糸を垂らしていた。カメラをセットし、何かを話しながら撮影していたが、うまくいかないのか、小さく舌打ちをするのが聞こえた。

そんな様子を何となく眺めていたとき、不意に彼女の姿が消えた。

一瞬、何が起こったのかわからなかった。波の音に紛れて、短い水音が聞こえ海に落ちた。

思考よりも先に体が動いていた。

足元が滑る感覚とともに、全身が冷たい水に包まれるような錯覚を覚えながら、拓郎は駆け出していた。暗闇の中で波が揺れ、どこに彼女がいるのかはっきりとは見えない。だが、すぐ近くから水をかく音が聞こえた。

「佳苗さん!」名を呼ぶと、震える声が返ってきた。

「だ、大丈夫……」その声が聞こえた瞬間、少しだけ安堵したが、夜の海は冷たい。長く浸かっていれば命に関わる。堤防の縁に足をかけ、慎重に姿勢を低くしながら手を伸ばした。

「つかまれ!」

佳苗は必死に腕を伸ばし、拓郎の手を握る。その感触は驚くほど冷たく、指先が強張っているのがわかった。全力で引き上げると、彼女は堤防の上に崩れ落ちた。

「す、すみません……滑っちゃって……」肩を震わせながら、何とか息を整えようとしているが、唇は青白く、体は小刻みに震えている。海に浸かっていた時間は短いが、このままでは体温が奪われてしまう。

「とりあえず、車に戻ろう」拓郎は彼女の腕を支えながら、駐車場へと急いだ。

車に乗せると、すぐにエンジンをかけ、エアコンの温度を上げた。しかし、それだけでは足りない。彼女の服は濡れて体に張り付き、冷え切った肌がうっすらと鳥肌を立てている。

「このままだと風邪ひくぞ。タオル、後ろにあるから使え」そう言って振り向くと、佳苗は震える手で服の裾をつまんでいた。

「……脱いだほうがいい、ですよね」一瞬、ためらったようだったが、拓郎の視線を避けるようにしながら、濡れた上着を脱いでタオルを肩にかけた。

拓郎は釣り道具を片付けるふりをしながら、できるだけ彼女を見ないようにした。だが、視界の端に、タオルの隙間から覗く白い肌が映り込む。濡れた髪が肩にかかり、頬に張りついている。

「助けてくれて……ありがとうございました」佳苗が小さくつぶやいた。

「いや……」

「ほんとに……怖かったです……」

彼女の声はかすかに震えていた。ふいに、冷えた指先が拓郎の手を掴んだ。

思わず顔を向けると、佳苗はそっと彼を見上げていた。大きな瞳の奥に、不安と、何か別の感情が揺れているように見えた。

このままではいけない、という理性が警鐘を鳴らしているのに、拓郎の手は彼女の指を握り返していた。

「……大丈夫だ」そう言ったはずなのに、声は妙にかすれていた。

次の瞬間、佳苗がそっと身を寄せた。濡れた髪から、潮の香りがほのかに漂う。彼女の体はまだ冷たく、細かく震えているのが伝わる。その震えが、どこか脆くて、守ってやらなければならないような気にさせた。

「……ごめんなさい」佳苗が小さく呟く。何に対する謝罪なのか、彼女自身もわかっていないような声だった。

気づけば、拓郎は彼女を抱き寄せていた。驚いたように彼女が顔を上げる。

目が合う。夜の闇に溶けるような視線が絡みつき、次の瞬間、彼は躊躇いもせずに唇を重ねていた。

ほんの一瞬、彼女は驚いたように固まったが、すぐに瞳を閉じた。冷たく震えていた唇が、ゆっくりと熱を帯びていくのがわかった。

時間が止まったような気がした。だが、理性が最後の抵抗を試みたのか、拓郎はふっと身を引いた。

「……すまない」佳苗は、すぐには何も言わなかった。ただ、しばらく拓郎を見つめていた。その視線が、何を求めているのか、拓郎にははっきりとわかってしまった。

「帰ろうか」かすれた声でそう言うと、佳苗は小さく頷き二人は別れた。

家に着くと、麻美はすでに寝ていた。いつものように釣った魚の下処理をし、風呂に入る。熱い湯が肌を刺すように感じるのは、冷えた体のせいだけではないような気がした。浴室の曇った鏡に映る自分を見つめ、拓郎は深く息を吐いた。

俺は……何をしてしまったんだ?理性では間違いだとわかっているのに、あの感触が頭の中から離れない。

隣から聞こえる麻美の寝息が、ひどく遠く感じられた。

翌朝、麻美が「今日、アウトレットに連れてって」と珍しく言った。買いたいものがあるらしく、たまには一緒に買い物に行こうという話になった。特に断る理由もなく、拓郎は頷いた。

そして、そこで思いがけない再会をすることになる。

駐車場に車を停め、ぶらぶらとお店を探す。麻美の後ろをついていきながら、拓郎はぼんやりと周囲を見渡していた。

そして、視線がぶつかった。そこには、佳苗がいたのだ。

そして隣には、彼女の恋人らしき男がいた。

肩を並べ、何かを話しながら、仲睦まじく買い物をしている。たった数秒の出来事だったが、拓郎の全身が固まった。

佳苗もこちらに気づき、一瞬表情が強張った。

だが、次の瞬間、彼女は何事もなかったかのように笑顔をつくり、恋人のほうへ向き直ると、普通に会話を続けた。

その姿を見て、なぜか心がざわついた。嫉妬、なのか。それとも、ただの動揺か。

自分でもわからないまま、麻美が「これどうかな?」と声をかけてきたことで、現実に引き戻された。

帰宅後、拓郎は妙に落ち着かない気持ちでソファに座っていた。そんなとき、スマートフォンが震えた。

画面には、佳苗からのメッセージが表示されていた。

「次の夜釣り、いつにしますか?」そして、その下に、もうひとつの短い言葉があった。

「あの続きはどうするの?」指が、無意識のうちに返信画面を開いていた。

拓郎は、深く息を吐いた。進んではいけないとわかっているのに、止められそうになかった。

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